第20回 秋の有田陶磁器まつり(2024年)にて放鷹術披露

人間国宝の陶芸界の巨匠たちをはじめ、日本における焼物文化の究極点を行く伝統の町、有田。
そこで毎年開かれる陶磁器祭りでは、町を挙げてお祭りがおこなわれています。

今年は開催20周年を記念して、メインテーマの「食と器でおもてなし」に加え、「伝統と技の響演」をサブテーマとして特別に伝統芸能をご覧いただけるイベントを開催。

ファルコンウィングからは、鍋島藩荒井流鷹術のご披露として鷹匠石橋美里も行ってまいりました。放鷹術の披露は、国の指定史跡である泉山磁石場にて行いました。

この地は、17世紀初頭、朝鮮人陶工 李参平(日本名:金ケ江三兵衛)ら により、この泉山で磁器の原料である良質で豊富な陶石が発見され、日本で初めて磁器の大量生産に成功したといいます。

当時の有田皿山は、内山、外山、大外山に区分され、石場(当時は土場と表記)の陶石の使用も区別されていました。中でも、大川内山にあった御用窯(鍋島藩窯)で使用するものは御用土と呼ばれ、最高級の原料を使って製造されていたそうです。

泉山磁石場は、国内諸大名などの賞賛を浴び、欧州各地の人々を魅了した有田焼400年の歴史を支え続け、昭和55年に国の史跡(一部)に指定されました。

現在でも多くの西洋人を魅了し続ける「有田焼」。時代を超えてもなお、その魅力が褪せる事はなく、進化を続けています。

奈良時代から戦国時代。そして江戸時代、徳川将軍家2代将軍3代将軍と愛され、その後は不完全ながらも新しい姿で復活を遂げた日本の鷹文化。

そして、明治期を経て現在に至るまで脈々と続く日本の鷹狩り文化。

その魅力には不変のものがありながらも常に時代に新たな可能性を秘めてきたといえるのでしょう。

東京からお越しのお客様からは「今日はこのイベントに参加して石橋さんに会い、本当に佐賀に来た甲斐があった。私は、佐賀で日本を知った!」と嬉しげに話されていました。

ご高覧くださったお客様、関係者の皆様、有田観光協会様、ありがとうございました。

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